インタビュー

Vol.4

日本人が漢字とどう付き合っていくかの国民的な議論があるべきだと思います。

月本雅幸

現在は漢字に対して腰が据わっていない


――最後に、日本語をご研究されている立場から、日本語の魅力や日本語全般に対して、今後のあり方などをお伺いしたいのですが。

日本語の魅力はあとまわしにしまして、どうあるべきかということに関してひとつ申し上げたいと思うのは、日本人が漢字とどう付き合っていくべきかということは、国民的な議論があるべきだ、と私は思いますね。

日本が漢字を使い出したときには、他の選択肢はなかったわけで、他の種類の文字を導入しようということはありえなかった。だからこれは必然であり、やむを得なかったわけです。しかし、本来中国の漢字というものは中国語のためにある文字で、日本語のために開発してくれたものではありません。それを日本語に適合するように使っていく、ある学者はこれを「飼い慣らす」という言い方で言っていますけれども、飼い慣らしていったんだということになるわけです。ところが飼い慣らすには大変な相手で、それこそ五万とある漢字ですから、大変な苦労をしてきたわけですね。

ですから、明治の直前くらいから、漢字は廃止してひらがなとカタカナだけにせよ、ローマ字だけにせよ、あるいはもっと別の文字をつくれ、というような漢字廃止論というものが幅広く存在したわけですね。その是非はいろいろありますが、その時代は、日本人が漢字とどう付き合うべきかを、それこそ真剣に考えていたと思うんです。

ところが、現在はどうかというと、どうもその根本のところが忘れられている。「これからも使い続けるんだ!」という強い意志を持っているかというと、そうでもないようであるし、だからといってやめるつもりもない。しかし、子どもの名前にこういう漢字を使いたいから、人名用漢字は増やせという話にはなる。どうも根本的なところで、漢字に対して腰が据わっていないんじゃないかという気がするんですね。

そういう意味で、常用漢字表も改定されたことでもありますし、日本人が今後、漢字をどのように使っていくかということについて、この機会に国民的議論があってもいいだろうと、私は考えているんです。

私は、漢字を使った文献を研究している立場上、これは申し上げておきたいんですが、漢字はたくさん知っている人ほど、偉いということはないと思います。つまり、いくら知っていてもきりがないんですね。ひとつの漢字に対してさまざまな形、異体字がある。異体字を全部覚えることなんかできません。その限られた知識のなかで、どうやって漢字を運用し、どうやって漢字を検索していくか。われわれの労力も、知識も、そして寿命も限られているということ、それを前提にしたうえで、この膨大な漢字とその遺産というものに向かい合っていくべきじゃないかと思うんですね。

そうしたときに、日本人がどの程度覚悟するのか、これは今後に向けての非常に大事な問題だろうと思います。

他の言語との比較で知ることができる日本語の魅力


もうひとつ、日本語の魅力ということなんですけれども、これは一概には言いがたい。日本語の魅力っていうのは、おそらく、日本語それ自体のなかから出てくるものもあるでしょう。けれども、他の言語との比較対照によって出てくるということも多々あるんですね。

外国人の日本語学習者、あるいは研究者のなかには、アジアの言語をいくつか学んだなかで、最終的に日本語にたどりついたという方も少なくないんです。伝統的には、まずヨーロッパの方は中国語に関心を持ち、それは漢字に関心を持つからですけれども、そして漢字を学んだなかで、その東に日本というよくわからない国があるらしいということに気が付いて、そこの言語は中国語とはまったく違うらしいということで関心を持ち、そして学んだり研究したりするということが行われてきたんですね。
日本人も、もっともっと外国語を知り、研究し、学んで、そのなかで本当の意味での日本語のよさ、魅力というものを知っていくべきではないかと思います。

これまで日本語のよさというのは、日本のなかだけで日本語を眺めていて、ここが日本語のよさだと唱えられてきました。それは、日本人に対しては説得力があるかもしれませんが、これから日本語のユーザーとなるかもしれない、日本語のよき理解者となるかもしれない外国人に対しては、あまり説得性をもたない面もあるのではないかと、私は思うんですね。

逆に言うと、外国人たち、外国人の日本語学習者が感じている日本語のよさというものがなんであるかということを、われわれは彼らと交流して、もっと聞いたり知ったりするべきだと思います。そして日本人の感じているよさと、外国人の感じているよさとの間にどのような共通点と相違点があるかということを考えていく。これ自体、研究の対象に値すると思うんですね。ですから、日本語は最初から美しいとか、魅力のある言語だと先に決めるのではなくて、さまざまに考えてみて、やはりこういう点は日本語の魅力として考えざるを得ないのだ、というようなところを洗い出していく、というのがひとつのあり方ではないかと思います。結論めいた話ですけど、そのためにも日本語学者の責務は大きい、というのが私の考えです。

――今後は、私たちも日本語の魅力をさまざまな方向から見つめなおすようにしたいですね。本日はありがとうございました。


月本 雅幸(つきもと まさゆき)

国語学者。東京大学大学院人文社会系研究科教授。

共著に『日本語の歴史』東京大学出版会(1996)、共編著に『古典語研究 の焦点』武蔵野書院(2010)、『新訂 日本語の歴史』放送大学教育振興会(2005)、共編に『古語大鑑』東京大学出版会(2012~)、『訓点語辞典』東京堂出版(2001)などがある。

インタビューを終えて

 インタビューVol.4は月本雅幸先生の第2回目(後編)をお送りしました。先生のご専門である「古訓点」という言葉になじみがなかった方も多いと思いますが、いかがでしたか?

 月本先生の研究に対する真摯な姿勢がお言葉の端々に感じられたことと思います。また、先生の恩師であるお二方のエピソードを含め、研究というものは取り組むときに決意と覚悟が必要なのだということを改めて感じました。

 さて、次回インタビューは、台湾の文学を研究されている新進気鋭の学者、和泉司氏と赤松美和子氏のお二人に、漢字圏を形成する国のひとつである台湾について、魅力や日本と台湾の文化の違いなどを含めいろいろお伺いします。どうぞ、お楽しみに。

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