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エッセイ

Vol.12

日本語は、頑固なダブルデッカー(十二)

大岡 玲

2014.03.25

 覚えている人も多いのではないかと思うが、『日本語が亡びるとき』という、いささか物騒なタイトルの本が数年前評判になった。夏目漱石の病没によって未完になった長篇小説『明暗』の続きを書くという、きわめて野心的かつ冒険的な試み『續明暗』によって一躍脚光を浴びた小説家・水村美苗が著者である。

 「亡びる」という表題から容易に想像がつくように、これは一種の憂国の書だ。といっても、近頃の日本語は堕落したから伝統を重んじよ、とか、グローバル時代なんだから日本語なんか捨てて、英語主体の言語体制を日本は採用していくべきだ、とか、そういった、よくある粗雑かつ論理の飛躍に満ちた「警世本」とは、まるで異なっている。

 父親の仕事の関係で十二歳で渡米し、かの地で教育を受けながらも、英語にはむしろ背を向けて日本の近代文学を読みふけり、イエール大学ではさらにアマノジャクにもフランス文学を専攻し、やがて日本語で小説を書くにいたった著者自身の経験をベースに、近代の「日本語」=「国語」の成立についてのきわめて犀利な考察を展開するのが、その内容である。「亡びる」という刺激的な言葉で水村氏が指し示す、わが日本語の来し方・行く末、そして日本語を救うために彼女が提示する処方箋には、重く確かな説得力があって、一読三嘆、深く考えこまされてしまう。

 前回述べたように、欧米の文明を素早く摂取しなければならなかった明治維新期に、数多くの新語が開発された。それによって、未知の文明概念が漢字の組み合わせによって表現できるようになったのである。それらの新語を生みだした人々は、水村氏の言を借りるなら「二重言語者」だった。西欧の言葉を読みとり、それを日本の言葉に移しかえることができる能力の持ち主、という意味での「二重言語者」。いや、漢文をあくまでヤマト言葉にとっての外国語だと考えるなら、「三重言語者」といっていいかもしれない。

 そんな彼らの苦心惨憺があって、欧米の「叡智」を吸収しうる「国語」として、わが国の言葉は成熟した。水村氏は、かつてヨーロッパで「普遍語」、すなわち「叡智」を書きとめる言葉の地位にあったラテン語が、各地域の「現地語」であるフランス語や英語、ドイツ語に「翻訳」されていく過程で、それぞれの「国語」が成立したことと並べて、明治期の日本語の姿を描きだす。そして、その成熟のきわめて高い到達点のひとつが、日本の近代文学なのだ、と主張するのである。

 なぜ近代文学、とりわけ小説がそうなのか? ということについては、近代以降、日本語で学問をすることが、ついに欧米の学問の「翻訳」にならざるをえない宿命があったために、小説という形式が日本独自の「叡智」を担わざるをえなかったと彼女は述べていて、そのあたりについてはぜひ本文にあたってもらいたい。私個人としては、学問云々についての見解に納得するのは、なんだかしのびない気持ちがあるし、小説が「叡智」を担えたかどうかに関しては、いくぶん保留したい感覚もある。

 が、ともあれ、二十世紀の後半になって、日本の文学は、古典も含め世界の重要な「主要文学」の認知を受けた。このあたりの消息についても、『日本語が亡びるとき』はその数奇さ、つまりアメリカと戦争をしたことによって、世界に日本文学が紹介されることになった経緯を語っていて、まことに興味深い。そして、現在はというと・・・・・・。

 かつては「叡智」を語る「国語」だったフランス語やドイツ語も、政治経済のアメリカ一極集中化や、やはりアメリカ発のインターネットの威力によって、いまや英語の「普遍語」化に屈伏しつつある。いうまでもなく、わが日本語もそうであって、ひとたびは、たとえ日本語のみを使う単一言語者であっても、「叡智」を世界にむけて語りうる高みに到達したはずの「国語」であったのに、今は見る影もない。もしも、あの夏目漱石が現代に生きていたら、日本語で小説など書きたいとおもうだろうか

 水村美苗は、そう書く。そうかもしれない、とかすかに思いつつも、しかし、一方でそうかなあ、という疑問も強くわいてくるのである。というのも、漱石という人は、言葉に関して鋭く野放図なところがあったと考えるからなのだ。彼の作品には、当時の他の書き手が使わない独特の表現が多い。あくまでも伝説に過ぎないが、たとえば「肩凝り」や「無意識」といった語は漱石の発明だ(実際には、漱石以前に用例があるらしい)という話があったりするし、「やかましい」を「八釜しい」と当てたりする言葉遊び、あるいは洗面所をあらわす禅の用語「後架」を便所という語の代わりに使用したりと、さまざま工夫をして遊んでいる

 これは、もちろん、言文一致体の確立期における試行の数々であるのはまちがいないが、同時に漱石の日本語に対する不羈ふきな態度と取ることも可能なのではないか。そんな自由奔放な意識を持った漱石であれば、水村氏が指摘するような現状に対して、むしろ腕まくりをして日本語へのてこ入れに奮起するように思えてくるのである。単なる希望的観測に過ぎないのかもしれないが、しかし、日本近代文学の末尾とも見える村上春樹作品の諸外国での評価を考えると、あながち妄想でもない気がしてくる。

 村上作品については、その物語構造のわかりやすい「普遍化」によって世界的に受け入れられているのだ、という一種の否定的評価がある。つまり、人類が古来語りついできた神話的構造を、それもきわめてわかりやすい形で導入することによって異言語文化圏の歓心を買っているのだ、という論。たしかにそういう側面はあるだろう。だが、それだけでは他の国々にも同種の作品は、吐いて捨てるほど存在する。が、村上作品は構造の点で異文化圏にわかりやすいだけでなく、使われている日本語そのものに、巧妙に英語との親和性がひそまされているからこその高い評価なのだ、というのが私見である。

 これについてくわしく書こうとすると、たぶん大論文めいてしまうのでやめておくが、そんな英語的日本語の巧妙によって異文化圏の人々が日本の文学、ひいては日本語に興味を持ってくれる土台が生じたなら、今度は日本語の来し方を踏まえ、大胆に新しい言い回しや造語を数多く創造して「叡智」を語りうるエネルギーを取り戻す。あの漱石だったら、そんな「クールジャパン」、おっと、「超かっこいい日本」の言葉を創ろうと努力する気がするのだ。あんな大才にはもちろん到底及ぶべくもないが、私もそんな気分でこれからも日本語と遊んでいきたいと思うのである。

(了)



大岡 玲(おおおか あきら)

1958年東京都生まれ。東京経済大学教授(日本文学)・作家

東京外国語大学大学院ロマンス系言語学科修了。89年『黄昏のストーム・シーディング』で三島賞、90年『表層生活』で芥川賞を受賞。書評やエッセイ、イタリア語を中心とした翻訳も手がける。近著に『本に訊け!』(光文社)、『文豪たちの釣旅』(フライの雑誌社)など。文芸誌『こころ』(平凡社)で、2013年4月から連作短篇の連載を開始。

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