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エッセイ

Vol.4

日本語はやさしい(四)

山口 明穗

2013.02.26

ドイツのボッフム大学で日本語を教えていたヴォルフガング・ミュラー横田先生は、同僚に同姓の人がいたので、その人と区別するために奥さんの姓「横田」を自分の姓に取り入れた人であった。先生は、日本語、とりわけ漢字が好きな人であった。好きな思いで日本に留学し、研究するうちに結果それを職業とするようになった。好きになった理由を、先生は次のように説明された。
「漢字には遊びがあります。遊びができるのは、ゆとりがあるからで、最高の文化です。アルファベットには遊びがなくて、面白くありません。それで漢字が好きになりました」

()の糸、何色?」「紫」。「此の木、何の木?」「柴」。漢字は二つ以上の要素に分けられる文字が多く、このような遊びができる。

「辶(しんにょう)」に「一」を書いて「辷る」(すべる)、「辶」に「|」を書いて「おしたてる 」(押し立てる)、「見」に「見」を上下転倒した「見」を組み合わせて「かえりみる」(かえりみる)などと書いた例がある。ほかにも「囗(はこがまえ)」に「書」を書いた「図書館」で「図書館」を表したり、「气」(きがまえ)に「輕」の旁「けい」を書いた「水素」で「水素」を表したりする。遊びに見えるが、この幾つかの文字は遊びではない。辞典や古い文献に載るれっきとした漢字である。

戦争中、日本軍が南方の密林地帯へ進出した。深い密林は「ジャングル」と呼ばれ、その呼び名は内地でも身近となった。その頃、作られた謎々である。「『木』が一つで『木』、二つで『林』、三つで『森』、その下に「木」を付け、四つで何?」。いうまでもないが答は「ジャングル」。公に漢字と認められていないものであるが、「漢字遊び」の同類といってもよかろう。

次は、かつて週刊誌に載ったクイズ。「誰何」とは、門前に立ったガードマンのような人が、やって来た挙動不審の人間に「お前は誰か、何者か」と詰問する意の漢語である。「すいか」と読む。この「誰何」を二字縦に並べ、縦に二分したものを示して、「何?」と問う。ヒントが出ていて「夏の海岸です」。答は「西瓜(すいか)割り」。「誰何」「西瓜」の同音異語に基づいたもので、漢字遊びである。

ボッフム大学の近くには、付属の東洋研究所があった。その一部門に日本語教育があり、若い人が日本語を学んでいた。研究所所長を兼ねたボッフム大学教授のレヴィン先生の話では、漢字のデザインに興味を持ち、日本語を勉強しようという学生の数が多くなっているということであった。
漢字圏以外の人たちには、漢字で遊ぶのが好きな人が多い。親しく付き合った人の中には、自分の名前を漢字で書き表そうとする人がいて、適切な漢字を考え出して、楽しんでいた。

ヘボン(James Curtis Hepburn)は、幕末に来日し、医者でありキリスト教の宣教師であった。彼は、『和英語林集成』を編纂し、その際に使ったローマ字綴りがヘボン式である。彼は自分の名前を「平文」と書いている。

第一回で紹介したサラディン・マスワリさんもその一人で、自分の名前を「砂羅人 回素理」と書いている。

シュテファン・カイザーさんは、日本でも幾つかの大学に籍を置き、日本語を研究した。日本語を愛した人である。彼は「酒亭範開澤」の名刺を作り、親しい人に渡していた。「酒亭範」は、彼が酒、とりわけ日本酒が大好きであったからである。在欧中、彼は日本酒の醸造法を調べ、一人その味を楽しもうとしていた。酒を愛好する彼であったので、彼にとってこの漢字は絶対に使いたかったものであって、得意さが窺われる。

ボッフム大学にいたシュワーデ先生も、漢字の名前が好きだった。お宅に招待された際、「主和出」と編み込んだ奥さん手作りのラグを見せてくれた。「主和出」には、かつて神父であった先生のお気持ちが籠もっていたにに違いない。

漢字は「表意文字」と呼ばれる。アルファベットが「音」を表すので「表音文字」と呼ばれるのに対してである。「表意文字」の代表ともいうべき文字は漢字であるが、漢字は、意味だけを表す文字ではなく、読みをも表している。意味を表すと同時に音をも表しているのである。「音」と「意味」があるのは「語」であるから、漢字は「表語文字」というのが妥当な名称であるということになる。「表意文字」の名は否定し、「表語文字」のほうが正しいと主張したい。しかし、「表意文字」という名称はなかなか根強く、未だ「表語文字」がその位置に代わるほどには至っていない。なお、「図書館」の字は「図書館」を表すが、何と読むか「音」は定まっていない。音と意味の両面が揃うことがん日本語の中の漢字の条件であるとすれば、「図書館」は漢字の枠に入らないことになるが、『大漢和辞典』には漢字としての解説が載る。「水素」には「ケイ」の音がある。
漢字には、二通りの読みがある。中国伝来の音に基づいた「音」と、その字の意味を日本語でとらえた「訓」である。後者は、言葉を変えて言えば、漢字の日本語訳ということになる。漢字に音訓があるため、漢字には、幾通りもの読み方をする文字ができた。戦後の当用漢字では、できる限り一字の漢字は一つの読みになるように、という方針があったそうであるが、難しかったようである。実現していない。その影響でもないだろうが、漢字の音も訓も区別なく、読みさえ同じなら、どうでもいいと誤解しているのではないかと思わせられる場面に出会うこともある。

長らくアメリカに留学していた姪が帰国して、日本の会社に就職した。家に来て、久しぶりの日本なので慣れないせいか、不満が多い。「会社のパソコンは、漢字の変換が不十分だ」と怒っているので、「そんなに難しい言葉なの?」「だって、いくらやっても、メンサイショの変換ができない」「メンサイショって?」「明太子のメンに、詳細のサイ」。

漢語は二字以上の漢字の組み合わせで成っており、もともとの漢字の意味を併せ持っている。中世歌学での「幽玄」「平淡」「有心」などはその一例である。いずれも、二字の組み合わせによって深い文学理念を表している。漢字二字の組み合わせで、容易にはとらえ難い内容を表すことができる。漢語の特性は、外国文明の摂取にも重要な役割を果たした。文明開化の時期には、「芸術」「哲学」「酸素」「心臓」「野球」「卓球」など、多くの分野で新しい語が作られ、広い範囲で受け入れられた。これに対し現代は、原語のままを訳語とすることが多い。ユニバーサルな方法と考えられることもあるが、多くは発音が長く、その時は「パソコン」「ワープロ」「ラジカセ」など略語が使われることになり、初期のユニバーサルという目的は達成されない。これに比べて漢語の使用は、音を用いれば適切な長さになり、訓を用いれば語の意味は受け入れやすいといった利点がある。漢字の利便さがあると考えられるのである。



山口 明穗(やまぐち あきほ)

国語学者、東京大学文学部名誉教授。
1935年、神奈川県生まれ。東京大学文学部卒、1963年東大人文科学研究科国語国文学専修博士課程中退、愛知教育大学専任講師、1967年助教授、1968年白百合女子大学助教授、1975年教授、1976年東大文学部助教授、1985年教授、1996年定年退官、名誉教授、中央大学文学部教授、2006年定年退任。
著書に、『中世国語における文語の研究』明治書院(1976)、『国語の論理―古代語から近代語へ』東京大学出版会(1989)、『日本語を考える―移りかわる言葉の機構』東京大学出版会(2000)、『日本語の論理―言葉に現れる思想』大修館書店(2004)など。そのほか『岩波漢語辞典』『王朝文化辞典』などをはじめとする数々の辞書・辞典の編纂に携わり、GT書体プロジェクトでは日本語漢字監修を務めた。
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